NINJART 忍者資料 志稲祐

★手裏剣の技法
★打ち技(打剣術)
・袈裟打ち=斜め上から打ち下ろす。
・上段打ち=頭上から打ち下ろす。
・横打ち=右横から打つ。
・下段打ち=下方から打ち上げる。
・反則打ち=左側から打つ。
・後打ち=振り返りざまに真後ろへ打つ。
・早打ち=一拍打ちのリズムで一気に打つ技。これを連続で打つことを「一気五剣」といい、一呼吸の間に打つ。銃を抜いて撃つよりも早い。このリズムを変則的にしたものを「乱打」という。
・多本打ち=指の間に苦無を挟み、最大4本同時に打つ技。かなりの錬度を要する。
※武術の全てにおいて、その間合いは生命線ともいうべき重大な要素である。一歩動けば得物が届く距離を本間合いという。本間合いの外を外間合いという。手裏剣術は外間合いから攻撃する術だが、握り技を使えば接近戦も可能。
・握り技(掌剣術)=ほとんど知られていない、手裏剣術の裏技。打剣術の免許皆伝者にのみ伝えられた極秘の技である。これは、敵が手裏剣を打つには近すぎる場合に、手裏剣を握ったまま、敵を刺したり斬ったりする技である。
★握り方
直打法=手裏剣の先端を前方に向け、開いた手のひらの中央(第三指上)に手裏剣本体を載せ、親指で手裏剣尾部を軽くおさえる。この時剣尾は掌の中央辺りに来るよう握る。
反転打法=手裏剣の尾部を前方に向け、開いた手のひらの中央(第三指上)に手裏剣本体を載せ、親指で手裏剣先端部を軽くおさえる。
★外れ方によって原因が違う
・狙いより上に刺さる=おさえ不足、離れが早すぎる、打つ際にすべる
・狙いより下に刺さる=おさえ過ぎ、離れ遅すぎ。
・狙いは近いものの、下向きに刺さる=おさえ不足、離れ早すぎ
・狙いは近いものの、上向きに刺さる=おさえ過ぎ。
・右横に外れる=力みすぎ。
・命中が左右に乱れる=指先のブレ
・剣尾が左右に乱れる=構えた際の剣の曲がり。
★三不過の術(さんぶかのじゅつ)
一度目の突きを躱されたらすぐに次の突きを出しなさい。それも躱されたらさらに3度目を出しなさい。3度目のときは、相手も何らかの反撃の構えを取っているから、その死角を狙ってつきなさい。という教え。


忍びは戦闘のプロではなく、諜報のプロ。武では武士には勝てない。極力戦闘は避け、正面から戦うよりもその場から素早く逃げることを念頭にしていた。忍びは「正心(しょうしん)」を第一とした。正心とは「正しい心・正義の心」の意。

その昔、忍はその技で様々な仕事を行っていた。姿を消して忍び込み、本当に分身しているかのように各地で仕事を行い、相手を翻弄した。

忍は、武士の下で働く下請けでしかなかった。地位も財も持たぬごく普通の貧しい人々が工夫を凝らして、忍としての活動を行ったのである。

江戸時代になると、忍びの重要性は薄れ、衰退して帰農する者が大半であった。が、中には帰農しただけではとても食えぬとして、忍びの技を活かして盗賊に成り下がる者も居た。例:北条氏に仕えていた風魔小太郎とその一派。風魔は江戸の町で盗みの限りを尽くしているところを、かつて甲州透破(こうしゅうすっぱ)の末裔として活動していた高坂甚内(こうさかじんない)によって捕らえられ、磔にて処刑された。

忍びの任務1:情報収集

情報を手に入れてから資料にまとめて報告するまでの諜報作業を指す。

心・技・体のさまざまな鍛錬を積んだ忍びは、人間心理にも精通していた。



忍びの任務2:防諜

自分が諜報によって情報を得ることとは逆に、敵に情報を取られないようにするための行為。

陽忍=表立って行動すること。

陰忍=陰で行動すること。忍びのルーチンワーク。

忍びの任務3:謀略

謀(はかりごと)をもって敵の中に味方を作り、敵と敵をいがみ合わせることを指す。下記にその術を記す。

・桂男(かつらお)の術

こっそり召し抱えておいた味方を敵国に長く住まわせ、敵国人として仕官させる。



・袋翻し(袋返し)の術

味方の忍びを敵国に抱えさせ、ある程度の功績を立てさせて信じさせておいて、後で大きく裏切る。



・天唾(てんだ)の術

敵の間者を捕らえ、味方にする。そのあとで、こちらからコントロールした情報を敵に流させて、敵を掌の上で躍らせる。



・弛弓(しきゅう)の術

敵に捕らえられ、寝返るよう誘われた場合、承知して敵の味方のふりをする。天唾の術に対抗する術。



・山彦(やまびこ)の術

忍術の極意ともいえる術。わずかな失敗を敢えて犯してわざと放逐され、敵国に行って主君の情報をエサに仕官を申し出る。



・如影(にょえい)の術

戦争が近い時に、敵が兵を集めるのに乗じて、忍びを大量に送って敵の中に潜ませる。



・里人(さとびと)の術

敵国の人間をこちらの間者とする。



・蛍火の術

偽書を使って敵の重臣を取り除く。





忍びの任務4:不正規戦

・道に障害物を置いたり、橋を落としたりする足止め



・焼き討ち



・暗殺



・潜入工作





忍びの起源は中国という説あり。(信頼性は低い)

紀元前にさかのぼって、軒轅黄帝《けんえんこうてい》の時代に、黄帝が忍び組織を設立したのが始まりという説。

上杉謙信が従えていた忍びの組織名が「軒轅(のきざる)」であることから、軒轅黄帝が由来となったのではないかと言われている。



古代日本が起源であるという説もあり

修験道の始祖「役行者(えんのぎょうじゃ)」が祖であるという説。行者は「前鬼・後鬼」を忍びとして使役したという。

楠正成(くすのきまさしげ)という説もある。彼は南北朝時代に後醍醐天皇を助け、鎌倉幕府や北朝とゲリラ戦術で戦い続けた、不正規戦のエキスパートという観点から。彼の従者には伊賀から駆け付けた48人の忍びがおり、その中には服部半蔵の祖先も居たという。





甲賀忍者について

甲賀忍者は室町時代に足利幕府から攻撃された六角氏を甲賀の地にて助けたことで有名。「鈎の陣」

甲賀忍者の筆頭望月出雲守(もちづきいづものかみ)は、伊賀の服部半蔵と並んで有名。

甲賀五十三家が「鈎の陣」で活躍し、内の二十一家が六角氏から感謝状を贈られ、甲賀二十一士と称された。

甲賀の忍びは毒の扱いに長けたという。



忍びの組織は各地にある

陸奥の大名伊達政宗が創設した「黒脛巾組(くろはばきぐみ)」黒い脚絆を着けている事から。ただし、戦国時代や江戸初期の同時代史料では確認できない呼称であり、江戸中期以降の伊達家関係資料に突如登場することから、架空の可能性がある。その一方で山岡荘八著・伊達政宗にも触れられているが、伊達家の本拠地が長く現在の山形県の置賜地方(米沢市等)であった事から、目と鼻の先の出羽三山系の修験者と伊達家に密接な関係があった事は知られており[1]、、また蔵王権現で有名な蔵王連峰も近辺である。 これらの修験者が行う全国行脚などを通じて、隣国への外交工作や諜報を行っていた可能性は十分考察すべきである。
元々忍者自体が伊賀、甲賀、名張、風魔、甲斐、越後の忍者にしても山岳地帯の傭兵集団の色合いが濃く、同じく山岳地帯に住み、山岳を信仰や修行の対象とした神道、密教、そして特に修験道等の山岳信仰の人間達との関連性は非常に高い。 (伊賀甲賀名張は吉野金峰山に比較的近く[2]、風魔の拠点足柄山そばには箱根の修験道、上杉領には妙高山、そのそばには戸隠山、飯縄山、武田領にも富士修験道始め様々な修行山がある。)よって出羽三山等の修験道と黒脛巾組もしくは伊達家の諜報関連との関連性については、今後の研究が待たれる所である。



北条家には風魔小太郎の一族



武田家には富田郷左衛門という忍術名人が差配する三つ者が居た。三つ者とは、相見(諜報)・見方(謀略)・目付(防諜)の三人一組のこと。



上杉家には軒轅。



真田家の十勇士



前田家の「偸(ぬすみ)組」。加賀忍軍は、四井主馬(よつい・しゅめ)という人物が、率いていた。主馬は、大河ドラマ「利家とまつ」にも登場していたが、加賀藩の信頼できる古文書にも登場するので、実在の人物と考えられる。色々調べてみると、主馬自身のルーツについては、「以前は、武田家につかえていて、武田家滅亡後、前田家に仕官した」と書いたものが多い。しかし、それ以外のことは不明。加賀忍軍に所属する忍びたちは、伊賀出身者が多いそう。ある本には、織田信長が伊賀に進攻した「天正伊賀の乱」のあと、残党の一部が、前田家に仕官したと書かれていた。



一全流=尾張(おわり)藩の兵学者、近松彦之進茂矩(しげのり)(1697―1778)が唱導した一全流練兵伝(れんぺいでん)をいう。茂矩は幼少から英敏の才をうたわれ、1712年(正徳2)16歳のとき、4代藩主徳川吉通(よしみち)(1689―1713)の御側小姓(おそばこしょう)となり、切米50石・五人扶持(ぶち)を給せられた。しかし、わずか60余日で吉通の急死にあい、御役御免、10石減石、御馬廻(おうままわり)の閑職に落とされた。これに発憤して兵学者としてたつことを決意して、諸流の兵書研究に没頭し、15年9月、19歳で練兵堂という教場を開き、全流練兵伝と称した。そして23年(享保8)27歳のとき、藩命によって武芸指南書を提出するころには、傑出した門人45名を数え、大いに面目を施したという。「素肌(すはだ)の武芸は被甲(ひこう)しては無用の伝多し」として、被甲、疾走、歩伐、騎戦、器制、鎧勝(がいしょう)の六つを組み合わせて教授の体系をたて、単騎練兵教練の次序を10段階に設定し、三略にある「能使三軍如一心則其勝可全」という語から、一全流と改めた。この間、30余流の兵書を集輯(しゅうしゅう)し、8流から免許を得たが、なおこれを不満として、支藩高須(たかす)の太田教品に長沼流を学び、教品の師佐枝尹重(さえぐさただしげ)の書冊門人となって、その伝を受けた。また大坂の平住専庵(ひらずみせんあん)、片嶋武矩(かたしまたけのり)らとも親交を結び、橘(たちばな)家伝の神軍必勝伝、自得流砲術、武田流馬術を学び、数多くの兵学武芸書を残している。[渡邉一郎] 





剣術で有名な柳生一族は、忍びとしても活躍していた。江戸時代ではその諜報活動による情報力を活かして、大名を監察する大目付役をこなした。



忍びは顔と頭を忍び頭巾で隠した。当時は身分や職業によって髪型が決まっていたので、見られたら正体がバレたも同然であったからだ。また、下着も特殊なものをつけていた。



手裏剣について

手裏剣は、車剣よりも棒手裏剣が重宝された。車剣よりも単価が安いため。また、棒手裏剣の方が、先端の一点に力がかかるため刺さりやすい。ただし、命中精度は車剣より低いので技能が必要。前腕の甲に数本並べて刺しておけば取り出し易いうえに籠手代わりになる。



弓について

忍びは半弓(はんきゅう)を使う。六尺三寸(191cm)以下の弓。大体三尺三寸(100cm)ほど。携帯性を考慮し、半弓を折り畳んで外側を蝶番でつないだ「旅弓」というものもあった。矢は放射状に菅笠の裏に隠していた。



壁を越えたり登る際は、二本の竹に横桟を取り付けた細長い梯子や、縄に横桟をつけた巻梯子を用いた。



川を渡る際は、甕筏(かめいかだ)という、複数の水甕と木や竹の棒十数本と紐で作った筏を使った。甕に水が入らない限り、100cmの甕なら一つあれば大人一人分の浮力は得られる。実用性の無い水蜘蛛は現実味に欠けた嘘っぱち。



開器(かいき)について

戸、門、雨戸などを開けるための道具。今で言うピッキングツール。その中でも雨戸(当時の家屋の多くは雨戸が戸締りの役割を担っていた)を開けるために作られたものを問外(といかき)と呼ぶ。



錏(しころ)とは

小型の携帯用鋸。(サイズは2寸=6cm~2尺=60cm。潜入の際などの切断作業に使う)



苦無(クナイ)とは

金属製で、穴掘りや楔(くさび)として使われた。武器としては使われなかった。細長く尖ってはいるが、刃はついておらず、武器の用途として作られたわけではない。



忍術三大秘伝書の一つである「正忍記」では、忍びは以下のように分類されている。

・唐間(とうかん)=中国の忍びのこと。

・嚮導(きょうどう)=道案内をする者。

・外聞(がいぶん)=直接敵の中に潜り込むのではなく、周囲の噂や荷の動きなどといった、日常的な活動から情報を得る者のこと。商人に変装したりしていたという。

・忍者(にんじゃ)=日本の間者のこと。この頃から忍者という表現が用いられ始めた。

・盗人(ぬすっと)=単なる盗賊で、忍びから堕落した者を指す。





マスメディアの不在だった当時は、前もって知っていれば簡単に見破れるような、単純な騙しでも成功した。また、当時は街灯も無く、夜間は現代の街よりも格段に暗く、少し物陰に隠れれば簡単にやり過ごすこともできた。





棒手裏剣の様々な打法

・上段打ち=中指を少し凹ませて支え、人差し指と薬指で挟み、親指で上から押さえて持つ。



・下手打ち=ボールを下手投げするようなポーズ



・横打ち=水平にチョップを放つようなフォーム。



・座打ち=座った状態からの上段打ち(直打法)





下緒七術(さげおななじゅつ)=忍び刀の「下緒が長い」特徴を活かして行う小細工。

・座探り(ざさぐり)=刀の先に少しだけ鞘をはめておき、下緒は口に咥える。この状態で闇の中を歩き、鞘が何かに当たった際に、その感覚で敵かどうかを判断。敵の場合は素早く刀を引いて鞘から切っ先を出し、そのモーションから刺突へと転換し攻撃する。鞘をセンサー代わりに使う、明かりの無い暗闇での技である。鞘は下緒を口に咥えておくことで、戦闘後に闇の中を探し回ることなく素早く回収できる。



・吊り刀(つりがたな)=下緒を口にくわえた状態で刀を踏み台にして塀を登り、下緒を引いて刀を回収する技。



・旅枕=寝る間、下緒を身体の下に伸ばしておき、もし刀を盗まれそうになった際に、下緒が引っ張られる感触で察知する



・陣張り(じんばり)=二本の木の幹などに下緒を結んで渡し、そこに羽織などの布をかぶせて簡易テントとする技。それで野宿する。



・用心縄=入口などの通り道に、膝くらいの高さに下緒を張っておき、転ばせるか立ち往生させる技。



・槍止め=武器のリーチを伸ばす技。忍び刀の鞘と柄をくくりつけることで短槍のように使う。



・縛(ばく)=単純に、下緒をロープとして扱い、何かを縛る。





水遁の術=水に石を投げて、水中に逃げたと思わせる。水を使って逃げる術のこと。「遁法」の一つ。



火遁の術=火を使って逃げる術のこと。放火など。「遁法」の一つ。「百雷銃退き(ひゃくらいじゅうのき)」は火縄で炸薬をいくつもつなげた連続爆竹。音で敵を脅かしている間に逃げる。煙玉はフィクション。実際に、衝撃で発火するニトログリセリンのような火薬が発明されたのは江戸末期であるため、時代的にありえない。



猫の目時計=外において、猫の目の瞳孔の大きさで時刻を知る方法。



察地術=地形や地勢の情報を集めること。敵が隠れやすい場所、防御の拠点とする場所などを把握さるために使う。



察人術(=情報源である相手を見極める術。頭や顔の形、眉、目といった複数の部位の特徴をつかんでおく。



物まねの術=潜入などに消せない音を、動物の鳴き真似でごまかす術。



陰中陽(いんちゅうよう)の術=虚言で相手の隙を作る術。





穂形=隠れるための術。隠法とも。



観音隠れ=木をつかった穂形。



鶉(うずら)隠れ=広場の真ん中という、真っ先に見つかるような場所にあえて留まり、肌の部分を極力隠し、背中を丸めてじっとしている様。



木の葉隠れ=立木などを利用して隠れる技。



草葉(くさば)隠れ=藪などの茂みに隠れる技。



柴隠れ(しばがくれ)=材木や米俵など、積み上げられた荷物を使って隠れる技。



狸(たぬき)隠れ=木に登って隠れる術。



狐(きつね)隠れ=水に潜って隠れる術。



撒菱(まきびし)退き=撒菱を用いて逃げるための術。糸菱(いとびし)の術と言って、糸に撒菱を結び、それを腰に巻き付けて逃げ、追撃しにくくするという非常に不格好な術もあったという。敵から逃げる「遁法(とんほう)」の一つ。



物見の術=偵察によって忍び口を見つける術。忍び口とは、敵の拠点への忍び専用の入り口のこと。敵からの死角が多く、潜入しやすい場所を指す。



入堕帰(いりだき)の術=見張りの気が緩むタイミングを調べる術。入り=見張りに立った直後、堕=見張りに立って長時間経過後、帰=見張りを終えて交代する直前。これらの中から今だ、と思える瞬間を見極めて潜入する。その見極めを「択機(たくき)のじゅつ」という。



楊枝(ようじ)隠れの術=楊枝を一本放り、敵がそれに気を取られている隙にことを成す術。実際には、楊枝一本は誇張だが、敵がなにかに気を取られるように仕向けて行動することを指す。



家忍の術=番犬対策、錠前破り、気配の察知など、様々な術の集大成。中でも大切なのは「除影音術」。



除影音術(じょえいおんじゅつ)=自分の影と音を消す術。



四足之習(よつあしのならい)=振る舞いを動物に似せる事で忍び込む技。



七方出(しちほうで)=当時の人々は職業ごとに服装が決まっており、忍びはその服装を纏って(虚無僧、仏僧、修験者、商人、放下師、猿楽師、常=普段着の計7種類)。目立たずに行動した。声を変えることもできたという。



桂男の術=あらかじめ味方を敵方に送り込み、敵の家臣にしておくこと。



袋翻し(ふくろがえし)の術=敵側に味方の忍びを送り込み、仲間のふりをさせること。



参差(かたたがえ)の術=攻撃しようとしている者は、自分が攻撃されようとしておることに気付かない。尾行しようとしている者は、自分が尾行されていることに気付かない。この心理を使って相手の裏をかく術。



虜反(るほん)の術=捕虜の返り忠(寝返り)を利用して、その一族郎党ごと寝返らせる術。



秘文字(本作では忍び文字とする)=忍びの使う暗号。組織ごとに異なる。隠文とも。用いたのは神代文字とされる。



※江戸時代の日本は世界一の識字率を誇っており、読本(よみほん=善が悪を倒す話が主体で、文字のみ。大人向け)や滑稽本(こっけいぼん=ほとんどが文字で稀に絵がある。当時のラノベ)、絵双紙(えぞうし=絵が主体で子供向け)といった、娯楽書物が売られていた。



(有名な忍び一覧)

・杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅぼう)





・果心居士(かしんこじ)

出身は筑後国とも大和国とも言われている。高野山に修行に入ったが、仏流修行を疎かにし幻術ばかりに身を投じたため破門されたという。織田信長の所有する地獄図を白紙にしたり、何度斬られても死なずに生き返ったり、様々な動物に変身することができたという。



・野村ノ大炊太夫(のむらのおおいだゆう)





・新堂ノ小太郎(しんどうのこたろう)





・楯岡ノ道順(たておかのどうじゅん)





・音羽ノ城戸(おとわきど)





・山田ノ八郎右衛門(やまだのはちろうえもん)





・望月与右衛門(もちづきよえもん)





・芥川清左衛門(あくたがわせいざえもん)





・山中大和守俊好(やまなかやまとのかみとしよし)





・百地三太夫(ももちさんだゆう)





・風魔小太郎(ふうまこたろう)





・富田郷左衛門(とみたごうざえもん)





・百地丹波(ももちたんば)

伊賀上忍三家の一人。実際はそのような記述は残っていないので、謎が多い。



・服部半蔵保長(はっとりはんぞうやすなが)

伊賀上忍三家の一人。実際はそのような記述は残っていないので、謎が多い。服部半蔵は個人の名ではなく、伊賀忍だったとされる服部家で当主が代々継ぐ名が半蔵または半三だったため。

保長の息子・服部半蔵正成は徳川十六神将の一人。もっともよく知られる服部半蔵である。

・藤林長門(ふじばやしながと)

伊賀上忍三家の一人。実際はそのような記述は残っていないので、謎が多い。



・藤原千方(ふじわらちかた)

平安時代に朝廷への反乱を起こした。四体の鬼(金鬼、水鬼、風鬼、隠形鬼)を操ったとされる。



・大伴細入(おおともさいにゅう)

聖徳太子に仕えた忍びの祖とされる。



・加藤段蔵(かとうだんぞう)別名:飛び加藤・鳶加藤

高い跳躍力と奇怪な幻術の使い手。主に動植物を使った幻術。そのあまりの腕前に、仕官を願った上杉謙信からも武田信玄からも恐れられ、武田家臣・跡部大炊助(あとべおおいのすけ)に謀殺されたという。



・服部康成(はっとりやすなり)

忍びの中でも特に謎めいた人物。関ケ原の戦いで東軍側の忍びとして参加し、家康に貢献した。



・芥川九郎左衛門義矩(あくたがわくろうざえもんよしのり)=自分が透明になったり、人や物を透明にする術を使ったとされる。俗に言う「芥川流」である。加納藩の戸田家に仕えた芥川家の四代目。初代は芥川九郎左衛門義道といい、芥川流の創始者とされる。





























・九字印について

平安時代に仏教の一つである「密教」が伝わると、印が重要視された。印は、両手の指を組み合わせて宗教的な理念を表現したもので、それぞれに意味がある。身口意(しんくい)を統べるため、決まった印を結んで呪文を唱えれば仏の加護を得られるとされた。例:「摩利支天(まりしてん)」という印「オン、アニチ、マリシエイ、ソワカ」を結ぶと透明になれる等。



臨(りん)=独鈷印(どっこいん)。両手の指を祈るように絡ませてから、人差し指を前に出す。護身としての意味がある。



兵(ぴょう)=大金剛輪印(だいこんごうりんいん)。両手の指を祈るように絡ませてから、人差し指を前に出し、中指を人差し指の上に絡める。滅罪を表す。



闘(とう)=外獅子印(げじしいん)。両手をつぼみをつくるように重ね合わせてから、中指を人差し指に絡める。魔除け効果がある。



者(しゃ)=内獅子印(ないじしいん)。両手をつぼみをつくるように重ね合わせてから、左右の中指を薬指に絡める。悪を退かせる。



皆(かい)=外縛印(げばくいん)。両手を祈るように組んで、拳の形をつくる。意味は不明



陣(じん)=内縛印(ないばくいん)。両指の全てを内側に入れる。意味は不明。



烈(れつ)=智拳印(ちけんいん)。左手の人差し指を立て、右手で握る。意味は不明



在(ざい)=日輪印(にちりんいん)。左右の手のひらを広げ、親指と人差し指で三角形をつくるようにして前に突き出す。意味は不明。



前(ぜん)=隠形印(おんぎょういん)。左手の拳を右掌の上に置く。姿を隠す意味がる。







・十字の秘術

手のひらに「天」「虎」といった文字をなぞり、呑み込む真似をしたり、握ることで願掛けを行う自己暗示のような術である。

「天」は緊張が解ける、「虎」は無事に帰れる、「王」は鍛錬の成果を発揮する、「是」は病を早く治すなど、それぞれの文字に違う意味があった。





・印明護身法

精神統一の技。神仏に帰依(きえ)するための「浄三業(じょうさんごう)」「金剛印(こんごういん)」「蓮華印(れんげいん)」などの印と呪文を使う。これにより、肉体、言葉、精神である身口意の一致、すなわち精神の統一していたという。



※伊賀の名門・服部一族の秘伝には、「カンマン・ホロホン」という術がある。「天下鳴弦雲上帰命頂来(てんかめいげんうんじょうきみょうちょうらい)」という呪文を二回唱えると、難局を打破できるという。カンマンはサンスクリット語で「不動明王」の意。ホロホンは不明。





・忍者の心得

1、廉恥潔白(ぜんちけっぱく)=常に心が清らかで欲がないこと。



2、必死覚悟(ひっしかくご)=死ぬ覚悟の気持ちで、真剣にそして懸命に物事に臨む。



3、忍ち黙行(にんちもっこう)=恥を忍び、言葉を発さず心を見つめ、悟りを深めること。



4、花情竹生(かじょうちくしょう)=花は人を惹きつけ、竹は風にまかせて素直に揺れる情を持つ。



5、滅私奉公(めっしほうこう)=己の私利私欲を捨て、主人のために忠誠を尽くすこと。



6、無芸無名(むげいむめい)=敵に見破られぬように自らの存在を隠し通さなければならない。

※「音もなく匂いもなく、智名もなく勇名もなし」それが忍びの在り方。



★五車の術

1、喜車の術=敵と仲良くなったところで隙を見て作戦を決行する。



2、怒車の術=あえて敵を怒らせることで冷静さを失くさせる



3、哀車の術=悲しい出来事などを話して相手の同情を誘う。



4、楽車の術=戦って勝つのではなく、敵を味方に引き込む。



5、恐車の術=敵に恐怖心を植え付けて戦意喪失を狙う。



※また、「食欲、性欲、名声、財産、風流」という五つの欲につけ込む五欲(ごよく)の術もある。





★妖者(ばけもの)の術=相手の偽物に変装して、あらぬ噂を流して混乱させる術。その混乱に乗じて攻め込むことを水月の術という。





★忍びの呼吸法、歩行法

忍びが走る時に用いたのが「二重息吹(ふたえいぶき)・またの名を伊賀流千里善走之法(いがりゅうせんりぜんそうのほう)」という。これは「吸う、吐く、吐く、吸う、吐く、吸う、吸う、吐く」という一定のリズムを繰り返す呼吸法。これで長時間走っていられる。

抜き足、差し足の総称を「忍び足」という。足の先(まず小指側から次に親指側にかけて)ゆっくりと体重をかけて足をつく方法。



★座り寝=敵に襲われてもすぐ対処できるように座って眠ること。



「敵を知り、己を知れば、百戦して危うからず」=孫子に記載されている一文。

「忍びには 時を知るこそ大事なれ 敵の疲れと 油断するとき守らん」=伊瀬三郎義盛が詠んだ句。敵の気が緩む時を見極めて行動せよという意味。



★忍びが使った薬草類



・トリカブト=ドクゼりとドクウツギと並ぶ、日本三大有毒植物の一つ。食べると呼吸困難に陥る。食べると嘔吐・呼吸困難、臓器不全などから死に至ることもある。経皮吸収・経粘膜吸収され、経口から摂取後数十秒で死亡する即効性がある。半数致死量は0.2~1グラム。トリカブトによる死因は、心室細動ないし心停止である。下痢は普通見られない。特異的療法も解毒剤もないが、各地の医療機関で中毒の治療研究が行われている。



・ドクダミ



・ケシ



・センブリ



・二ッケイ







★明眼の法=闇夜でも自在に動けるよう視力を高める修行。



★小音(さおと)聴き=盗聴などに役立てるため、聴力を鍛える修行。板に針を落とし、その音を聴き取るというもの。



★不忘術=大切な情報を思いながら己に傷をつけ、その情報をまさに「記憶に刻み込む」術。



★通路の習い=忍び独自の情報伝達術。縄を結んで軒下などにぶら下げ、その結び目で伝える「結繩(ゆいなわ)」。石や物の置き方で言葉を表す「石置き」など。※石の代わりに家具や道具を使ったこともある。



★命・ト占

忍びの忍術は、呪術・占い・宗教などに色濃く影響を受けた。例えば九字護身法は、もともと道教の魔除けの呪文が修験道や密教に取り入れられたもの。気合術や陰陽道をうかがわせる忍術もあったという。





★占術の基本概念=占いは大きく三つに分類される。運命や宿命を占う「命(めい)」、人間が関わる事件の吉凶について占う「卜(ぼく)」、顔や手などから吉凶を占う「相(そう)」の三つ。



・宿曜道=密教の一つとして空海が日本へ伝えたという占星術の一つ。密教占星術とも呼ばれ、天体や曜日によって占われる。



・太占=獣の骨を用いて占う方法。古代より日本で行われてきた方法であり、主に鹿や猪の骨を焼いてそのひび割れ方で吉凶を占った。



・陰陽道=古代中国で生まれた「陰陽五行説」に基づいた呪術。



・八門遁甲=奇門遁甲とも呼ばれる占術の一つ。ある日時の吉方位を割り出す「方位術」として兵法などに用いられた。



組織ごとに異なる手法を用いたとされ、縄をぶら下げて選択肢を決める「縄占(なわまに)」、森羅万象を表しているとされる特殊な首飾りを使って行う「首飾曲玉之秘伝(くびかざりまがたまのひでん)」などもあったという。





★心の鍛錬

・息吹=呼吸で体内に気を充満させる方法。無息忍という呼吸音をなくす術が会得できる。



・気合=忍びの「三病」といわれる「恐れ・侮り・考えすぎ」を克服するためのもの。



・兵法護身=身を守るといわれている術。九字十字護身、印明護身など。





★身の鍛錬



・明眼之法=闇夜で行動する際に必要な視力を鍛える術。



・小音聞き=聴力を鍛えるもの。騒音の中で音を聞き分ける能力を高める。



・神足法=忍びの歩法や走法を修得する。足音をなくす「無足忍」が会得可能。



・金剛行=強靭な肉体を会得するために骨や指を鍛える修行。高い壁を登る際に役立つ。



・飛神行=跳躍やアクロバットな動きを中心とした修行。



・武芸十八般(ぶげいじゅうはっぱん)=江戸時代に武士が修得すべきとされた技のこと。





★現代版忍びの必須アイテム「忍の六具」



1、印籠(いんろう)=薬などを携帯するための小さな容器のことを言う。当初は印を入れたことから印籠と称される。現代では半透明のテフロン容器。毒をいれる際にも重宝。



2、鳥の子=導火線に火をつけて投げれば巨大な音と煙が出る仕組み。鳥の子和紙の中に火薬と発煙剤が詰められている。球根から芽が生えて伸びたような外観。当時からあったとされる。



3、仕込み武器=扇子や杖などの柄に刃を仕込んだもの。現代では折り畳み傘、杖、苦無、鉄拳(現代で言うところのメリケンサック)など。



4、















★「諷歌倒語(そえうたさかしまごと)の術」=かつて道臣命(みちのおみのみこと)が用いたとされる、歌や言葉に暗号を組み込むことで敵に悟られず作戦を実行する技のこと。





★飯綱之術=飯綱権現(いづなごんげん)を祀り、奇跡を現出させる術。伊賀と甲賀にもこの術は秘伝として伝わっている。





★八咫烏(秘密組織)

以前はもっといたのかもしれないし、少なかったのかもしれない。構成員の数は不明。

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